昔町百景-集落を歩く- 「岩村」 第5回
「岩村」
東濃の城下町 岐阜県恵那市
★重要伝統的建造物群保存地区

岩村は東濃の一角に位置する城下町である。信州と三河、尾張に通じる平谷
街道沿いと岩村川沿いに古い家並みが並んでいる。
ここは、戦国時代には武田軍と織田軍が激しい戦いを繰り返した「東濃十八場
攻防」の戦地でのある。岩村城主・遠山景任没後、信長の叔母「しゅりの方」が
女城主となったが、これが武田方の秋山晴近と結婚、信長の怒りを買って岩村
城は陥落し、しゅりの方は捕らえられて処刑された。
現在の町並みは関ケ原の戦い以後に、ここに入った松平家乗が築いたもの。
岩村川の北側に武家屋敷、南側に町人町が作られ、平谷街道沿いに、職人町
の上町、問屋町の中町、商人町の下町が作られた。そのうちの商人町が今の町
並みの中心である。150軒弱の家の1/3ほどが江戸期の建物だという。
一筋道の集落は緩い坂道で、道路は何故か赤っぽい色が施されている。かつ
ての豪商・勝川家を覗くと、庭になまこ壁の見事な蔵が残されていて、思わず
「凄い!」。木村家の裏手のなまこ小路も良い。隣りの明智村(大正村)に比べて
地名度いま一つのためか団体客の姿も少ない。
町並みの見事さは伝建地区だけあって明智に勝る。電柱が完廃されたら見事
に違いない。古い家並みの間には、レトロな近代洋風建築もポツリポツリあって楽
める。 資料館の高台にある資料館に登ると、緑風に包まれた集落が眺望できた。
:atelierM5/Ki
東濃の城下町 岐阜県恵那市
★重要伝統的建造物群保存地区

岩村は東濃の一角に位置する城下町である。信州と三河、尾張に通じる平谷
街道沿いと岩村川沿いに古い家並みが並んでいる。
ここは、戦国時代には武田軍と織田軍が激しい戦いを繰り返した「東濃十八場
攻防」の戦地でのある。岩村城主・遠山景任没後、信長の叔母「しゅりの方」が
女城主となったが、これが武田方の秋山晴近と結婚、信長の怒りを買って岩村
城は陥落し、しゅりの方は捕らえられて処刑された。
現在の町並みは関ケ原の戦い以後に、ここに入った松平家乗が築いたもの。
岩村川の北側に武家屋敷、南側に町人町が作られ、平谷街道沿いに、職人町
の上町、問屋町の中町、商人町の下町が作られた。そのうちの商人町が今の町
並みの中心である。150軒弱の家の1/3ほどが江戸期の建物だという。
一筋道の集落は緩い坂道で、道路は何故か赤っぽい色が施されている。かつ
ての豪商・勝川家を覗くと、庭になまこ壁の見事な蔵が残されていて、思わず
「凄い!」。木村家の裏手のなまこ小路も良い。隣りの明智村(大正村)に比べて
地名度いま一つのためか団体客の姿も少ない。
町並みの見事さは伝建地区だけあって明智に勝る。電柱が完廃されたら見事
に違いない。古い家並みの間には、レトロな近代洋風建築もポツリポツリあって楽
める。 資料館の高台にある資料館に登ると、緑風に包まれた集落が眺望できた。

Kazuさんの近代建築スケッチブック
共立学園同窓会館
□山手214番館(旧スウェーデン領事公邸)
神奈川県横浜市山手町
昭和初期 設計・施工 不詳
★横浜市指定文化財 非公開
大きな袴越屋根の邸宅。現在は道路を挟んでいる共立学園の同窓会館として使
われている。玄関ホールに階段があり、左右に主室を配する中廊下型の平面プ
ラン。玄関ホール西側に暖炉を持つ大広間・東側に洋室が2室、2階に寝室が
ある。
横浜の近代建築の中でも比較的知られていなかったが今はネットでも出るし、
「近代建築散歩/小学館」などにも掲載されている。
オーソドックスだが品の良い住宅建築である。

□山手214番館(旧スウェーデン領事公邸)
神奈川県横浜市山手町
昭和初期 設計・施工 不詳
★横浜市指定文化財 非公開
大きな袴越屋根の邸宅。現在は道路を挟んでいる共立学園の同窓会館として使
われている。玄関ホールに階段があり、左右に主室を配する中廊下型の平面プ
ラン。玄関ホール西側に暖炉を持つ大広間・東側に洋室が2室、2階に寝室が
ある。
横浜の近代建築の中でも比較的知られていなかったが今はネットでも出るし、
「近代建築散歩/小学館」などにも掲載されている。
オーソドックスだが品の良い住宅建築である。
昔町百景-集落を歩く- 「茂田井」と「望月」
「茂田井」と「望月」
石仏と酒蔵の町 長野県佐久市

茂田井は、中仙道の望月宿と芦田宿の間にある「間の宿」。
小さな宿場だが、望月や芦田より趣がある。今は佐久市である。
茂田井宿は車を止める場所も見当たらない細い曲がりくねった路地のような
街道に面して、「武重酒造」と「大澤酒造」の2軒の見事な酒蔵が並んでいる。
その風情ある景観は旅人の心を捉える。
望月は中山道25番目の宿場だが、古代から信濃の御料牧場である「望月
の牧」があった。良馬の産地としても知られ、毎年、信濃からの献上馬は80
頭あり、その1/4が望月駒だったという。しかし、今の望月宿には見るべき
ものは少なく、国重文の「真山(さなやま)家住宅があるくらいで、町並みより
「石仏の里」としての方が知られているようだ。
かつての中山道の面影を求める人は、望月から僅かな距離にあるこの茂
田井宿にやってくる。町外れの明神社に行くば集落全体が見渡せる。
落全体が見渡せる。
歌人・若山牧水は、この地をを気に入り度々訪れては、友人と杯を傾けた
という。
牧水が茂田井で残した二首がある。
「しらたまの 歯にしみとおる 秋の夜の 酒はしずかに のむべかりけり」
「ひとの夜の 楽しみおおし しかれども 酒なしにして 何のたのしみ 」
:atelierM5/Ki
石仏と酒蔵の町 長野県佐久市

茂田井は、中仙道の望月宿と芦田宿の間にある「間の宿」。
小さな宿場だが、望月や芦田より趣がある。今は佐久市である。
茂田井宿は車を止める場所も見当たらない細い曲がりくねった路地のような
街道に面して、「武重酒造」と「大澤酒造」の2軒の見事な酒蔵が並んでいる。
その風情ある景観は旅人の心を捉える。
望月は中山道25番目の宿場だが、古代から信濃の御料牧場である「望月
の牧」があった。良馬の産地としても知られ、毎年、信濃からの献上馬は80
頭あり、その1/4が望月駒だったという。しかし、今の望月宿には見るべき
ものは少なく、国重文の「真山(さなやま)家住宅があるくらいで、町並みより
「石仏の里」としての方が知られているようだ。
かつての中山道の面影を求める人は、望月から僅かな距離にあるこの茂
田井宿にやってくる。町外れの明神社に行くば集落全体が見渡せる。
落全体が見渡せる。
歌人・若山牧水は、この地をを気に入り度々訪れては、友人と杯を傾けた
という。
牧水が茂田井で残した二首がある。
「しらたまの 歯にしみとおる 秋の夜の 酒はしずかに のむべかりけり」
「ひとの夜の 楽しみおおし しかれども 酒なしにして 何のたのしみ 」

昔町百景 -集落を歩く-
「奈良町」
身代わり猿の揺れる町 奈良県奈良市

今は、行政上の町名に奈良町の記載はない。元興寺を中心とした一帯を奈
良町と呼んでいる。奈良市の東部に位置する奈良町は、首都が平安京(京都)
に遷都する前の首都・平城京(奈良)に起源する町である。中世には、東大寺、
興福寺、春日大社などの社寺の町として発達し、近世には晒、墨、一刀彫など
産業の町として発展した。奈良市は、古都のイメージが強い割には伝統的家並
みの連なりがない。今となっては奈良町は貴重な存在となった。
元興寺(世界遺産)の周辺に古い家並みが多く集まっている。奈良町の町屋
は奥に長い鰻の寝床である。通りから奥に、店の間、中の間、奥の間と商空間
から住空間に部屋が並んでいる。この様子は、公開されている「奈良町格子の
家」で見ることができる。
町を歩いていると、民家の軒に赤や白のお守りが下がっているのを見かける。
これは「庚申さん=おさる」と呼ばれるもので、疫病除けのお守りである。庚申
さんは、文武天皇の時代に疫病が流行した折、ある日、青面金剛が現れて疫
病を退治した。この日が「庚申の年、庚申の月、庚申の日」であった。また、疫
病を持ってくる「三尸(さんし)の虫」は猿が大嫌いだったという。この「おさる」は、
飛騨などでも見られる。庚申さんが軒に揺れる奈良町を歩いていると、不思議
なほどに気持ちが落ち着く。それは、商魂露わな観光町でなく、暮らしの息づく
町だからだろう。
:atelierM5 / Ki
身代わり猿の揺れる町 奈良県奈良市

今は、行政上の町名に奈良町の記載はない。元興寺を中心とした一帯を奈
良町と呼んでいる。奈良市の東部に位置する奈良町は、首都が平安京(京都)
に遷都する前の首都・平城京(奈良)に起源する町である。中世には、東大寺、
興福寺、春日大社などの社寺の町として発達し、近世には晒、墨、一刀彫など
産業の町として発展した。奈良市は、古都のイメージが強い割には伝統的家並
みの連なりがない。今となっては奈良町は貴重な存在となった。
元興寺(世界遺産)の周辺に古い家並みが多く集まっている。奈良町の町屋
は奥に長い鰻の寝床である。通りから奥に、店の間、中の間、奥の間と商空間
から住空間に部屋が並んでいる。この様子は、公開されている「奈良町格子の
家」で見ることができる。
町を歩いていると、民家の軒に赤や白のお守りが下がっているのを見かける。
これは「庚申さん=おさる」と呼ばれるもので、疫病除けのお守りである。庚申
さんは、文武天皇の時代に疫病が流行した折、ある日、青面金剛が現れて疫
病を退治した。この日が「庚申の年、庚申の月、庚申の日」であった。また、疫
病を持ってくる「三尸(さんし)の虫」は猿が大嫌いだったという。この「おさる」は、
飛騨などでも見られる。庚申さんが軒に揺れる奈良町を歩いていると、不思議
なほどに気持ちが落ち着く。それは、商魂露わな観光町でなく、暮らしの息づく
町だからだろう。
