風まち通信

国内を旅して出会った町並みや建築、そして建築家の人たちのことなどをお伝えしていきたいと思います

2008-01

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Kazuさんの近代建築スケッチブック 第7回

 早稲田大学旧総合案内所(旧大隈邸守衛詰所)           早稲田大学旧総合案内所・0711-450-270


   □ 東京都新宿区西早稲田              明治期  不詳/不詳
    大隈講堂(1927/佐藤功一)は平成19年に国重文に指定された。この建物
   はその足元にある。大隈講堂は立派だが、どうも硬すぎて好きになれない。
   大学の古い施設は沢山見たが、本館などより守衛室などに目がいく。基本的
   にこれ見よがしの大建築にはあまり興味がもてない。
   早稲田には他にも演劇博物館など貴重な近代建築があるが、この建物が一番!


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百町百景-集落を歩く- 「高取」 第8回

    「高取」
      薬売りで知られる城下町          奈良県高市郡高取町

        高取04・071021-300-270

     薬売りで知られるというと関東の人は「越中富山の薬売り」であり、
    高取の薬売りを知る人は少ない。薬売りはもとより高取町そのものを
    知らない人が多いだろう。高取の薬売りは富山より古いとも言われ
    る。多少の時間差など特にどうということもないが、江戸末期から行わ
    れていたようだ。
     高取は、もとは八木から壷坂寺に通じる街道の平凡な町として発生
    したが、高取城が築かれ、そこに住んだ藩主や藩士が不便な山城を
    降りてここに居住し城下町を形成した。
     高取城は、高取町の南東に聳える高取山(標高584m)の山上にあり、
    全国で最高所で、三重の天守閣を持つ江戸期の藩主の居城としては
    最大の山城だった。大和に入った豊臣秀長は、家臣の脇坂安治、次い
    で本多正俊を城主として大規模な改修をした。寛永14年(1637)本多氏
    が断絶、城番時代を経て寛永17年(1640)大名・植村家政が2万5千石
    の大名として入り、以後明治維新まで続いた。
     武士の屋敷は街道筋の下小島村や土佐町に移され、土佐、観覚寺を
    合わせた4ヶ村が城下町として形成された。こうして町ができたので、
    武家屋敷、町人町、農家が混在することになった。土佐町は藩主や藩
    士の下屋敷があった場所で、同所を藩庁を設けたために町の中心とな
    った。
     町並みは近鉄壷坂山駅から、国道169号線を横切り国道と平行に南
    北に通る街道に沿って発達している。北から観覚寺・下土佐・上土佐・
    下子島・上子島と続く。上土佐は藩政時代は土佐町と呼ばれたところで
    札の辻と呼ばれる場所には、かつて高札場が設けられていた。札の辻
    の南側の下子島は主として武家地域で北側は町人町だった。町には武
    家屋敷の田塩家や植村家の長屋門、入口に駒繋ぎの輪が左右にある下
    土佐の石川家など見所が多い。
     町の観光案内所「夢創館」は、大正時代の呉服屋を転用したものだ。
    明日香や斑鳩等々、観光するものの多いこの辺りにあって、ひっそりと昔
    日の佇まいを見せる高取の集落を訪ねる人は少ない。
    惜しいことである。
  
  
    :atelierM5/Ki

建築家訪問記-山形の岡田宗一さん-

  角田邸
  角田邸12・山形市0405-400-260

         角田邸05・山形市0405-300-260


   長井市に二宮さんという建築家がいる。
   岡田さんは二宮さんの知人で、その二宮さんの紹介で会った。会った印象は、
   とても好感が持てたが、人は何度か会っているうちに印象が変わることも多い。
   岡田さんは、その好印象が増すばかりでマイナス面を探せない。時々、著書
   などをお贈りすると暫く梨のツブテということがあって、多忙なためなのだろうが、
   マイナスを探すとすればそのアバウトな所だが、会うとそんなマイナスは跡形も
   なく彼方に吹き飛ぶのである。
    彼の作品は、人柄と同じに温厚で適度に洗練されたデザインである。
   研ぎ澄まされているという印象はない。ド演歌でもなければクラシックでもない、
   適度に垢抜け適度に親しめる作品群である。
   山形は彼のおかげで、私にとって好印象になっている。土地の所為ではないの
   に、一人の悪印象ために悪い印象を持ち続けている土地もある。前出の阿部直
   人さんと岡田さんは好青年という共通語で私の中で結ばれていたが、いまは時
   が経て「好おじさん」となったが、今も会った印象は、青年のままである。
    家を楽しく造ってくれそうな建築家の一人だが、それは施主の人柄にも問題がな
   いことである。大金を出すのだから言い放題!などという輩には良い家は手に入
   らない。金を出してモノを受け取るのだから、基本的には5分5分であるはずであ
   る。近年はデパート並みに、モノ創りする者が、「お客様、お客様」と平身低頭に
   なるのは、かえって信用ならない。あの姿勢は、家を創る人から、家をただ売り
   つける人になってしまった者達が招いた結果かも知れない。岡田さんにはそんな
   低頭さも慇懃さもなく、にこやかに仕事に邁進する姿だけが見える。

   
     :宮本和義


 
 写真の作品紹介
    山形市の郊外、美しい佇まいや生垣が残っている旧街道筋に建つ住宅。
   周囲の家並や風景ににできるだけインパクトが少ないよう建物は奥に配置
   され量感を押さえた外観。庭に面したデッキは幅1間(1.8m)長さ4間
   (5.4m)。LDKの外縁側としてお茶をのむ格好の場であり庭に残された垂
   れ桜や緑を楽しめる場である。庭でBBQやガーデニングをした時の腰掛に
   もなり、この家のポイントとなっている。そして深い庇は日差しや雨を遮るほ
   か外観にも奥行きを与えている。
      :文責 atelierM5


 岡田宗一さんの事務所 (有)岡田建築設計事務所     山形県山形市松見町
                                                   
                                      岡田宗一8715556_k100-260
                                          岡田宗一さん

百町百景-集落を歩く-「栃木」 第7回

  「栃木」  
     舟運の問屋町                       栃木県栃木市

     栃木03・350-260


   栃木の町の始まりは城下町である。秀吉時代の終わり頃のことだが、城下町
  時代は18年だけで、以後、明治初頭までは日光の諸掛り(用品納入)の問屋
  町として繁栄した。巴波川(うずまがわ)の舟運で賑わった町である。
   巴波川の舟運の歴史は江戸時代初期である。川沿いには、「栃木三河岸」と
  いわれる栃木河岸、片柳河岸、平柳、沼和田河岸があり非常な賑わいを見せ
  ていた。かつて巴波川は、いたるところに湧水があって、それが流れに勢いを
  与え、速い流れを作っていた。今も湧水が湧いている所がある。
   明治には一時県庁も置かれた。栃木県は、かつては栃木県と宇都宮県があ
  り、一つに統一する時に、宇都宮が県庁を取り、栃木は名前とったという話を聞
  いたことがある。
   大通りにも古い家は残るが、景観の美しさは何といっても。巴波川沿いである。
  「横山郷土館」や「塚田記念館」の辺りは素晴らしく、記念写真のスポットである。
  蔵の町だが、近代洋風建築の優れたものも多く残っていて、和洋混在の密度の
  濃い町並み散策が楽しめる。
   とくに西陽が白壁に映える頃の水鳥の遊ぶ川景色は抜群である。


  :atelier M5/Ki

Kazuさんの近代建築スケッチブック 第6回

  室戸岬灯台 
  室戸岬灯台・高知県0711-450-265


  □室戸岬灯台             高知県室戸市
    1899(M32) 設計/R.H.プラントン  施工/不詳

    岬に着いたのは黄昏に近かった。灯台背後の高台に着くと、白亜の小振り
   な灯台が暮れかかる海原に美しい。右手から残照があり、いくぶんの紅色が
   あった。しばらく眺めていた。闇に向う灯台に間もなく灯りが点る。

百町百景 -集落を歩く- 「伊根」 第6回

  「伊根」  

      静かな水面に浮かぶ舟屋集落           京都府与謝郡伊根町
      ★ 重要伝統的建造物群保存地区 


     伊根01・与謝郡8706-400-265
 
 
     丹後半島の北東、海に浮かぶ集落がある。真に浮かぶという表現が適して
     いる景観である。宮津からくねくねと曲りくねった海沿いの道を辿ると、その
     道に沿って湾を巻くように民家が並んでいる。
     かつては湾を渡る定期船もあったが、今はない。
     道は細く、民家などに気を取られて運転していると事故を起こしかねない。
     民家は、「舟屋」と呼ばれる舟のガレージを持つ二階建である。湾は外海に
     背を向けた防御の湾だから、池のように静かである。したがって家の中まが
     波打ち際になっても問題なく、舟はするするとガレージに漕ぎ入る。
     こんな民家の整列は他ではみられないものである。
     間口3間、奥行き6間ばかりの舟屋は一階が舟の停泊場、二階には作業場
     などに使用する部屋がある。民宿に転用している家もある。
     母屋は、道路を隔てた向かいにあり、かつてはその間が作業庭だったが、
     今は道路になっている。舟屋は妻入りで母屋は平入りである。
     映画「誘拐報道」や「フーテンの寅」シリーズにも登場した集落は、かつては
     釣り人くらいしか訪れなかったが、今は釣り人を凌ぐ多くの観光客で賑わう。
     
     海辺に立つと、妻入りの舟屋たちが整列し、澄んだ水面に影を揺らして静か
     に湾を見つめている。


     Ki

今年も宜しくお願い申し上げます


        2008WEB年賀状その2

  

        今年も変わらず、旅で出会った美しいもの楽しいもの素敵な人たちの
        お話しをお届けしたいと思っています。


        :Ki



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