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建築家訪問記-逗子の白鳥健二さん-

  白鳥邸
  白鳥邸02・逗子市0802


       白鳥邸06・逗子市0802


   白鳥さんと知り合って、もう20年もたつだろうか。ちょいちょい会うという
  わけではない。白鳥さんは、先頃亡くなられた黒川紀章さんの事務所に
  在籍されていた。作風は異なるが、華やかさのある点では共通している。
  随分前に、新潟の日本海近くをウロウロしていて、 浜近い所で洒落たレ
  ストランを見つけて入った。建物に興味を持ったからである。店員に設計
  者を訊くとと白鳥さんだった。帰京して彼に電話して、再度新潟に行って
  写真を撮り雑誌「商店建築」に掲載された。彼の華やかさのある作風に
  手招きされ、魅了されたのである。
    近年、白鳥さんは神奈川県逗子の海の見える高台に自邸を造った。
  それはTV、雑誌でも紹介された。一度拝見したいと思っていた。
  今年2月、彼から他事の電話があった。 それをきっかけに訪ねた。家は
  かなりの細い急坂の上にあった。安物の私の車はゼイゼイと息切れしな
  がら登った。傾斜地にたつ白鳥さんの個性が溢れる家は、見晴らし千両
  だった。
   白鳥さんは建築家でもあり、画家でもある。画集も出している。 個展に
  も何度か伺った。絵を描いている時と建築を考えている時とどちらが楽し
  いかは訊かなかったが、絵の話をしている時は輝いて見える。優しく温か
  い人柄、60歳を過ぎても少年のような白鳥さんが好きである。 爽やかな
  奥さんは、彼にも増して好きである。
   
     :宮本和義

  写真の作品紹介
    急傾地に建つ地下1階地上2階建てのアトリエを持つ住宅。地下階は
   RC造で人工地盤を兼ねていて、地上階を木造として軽量化された空間
   が広がる。 下から地上へと移動して行くと、その先には息をのむほどの
   眺望。 扇状で緩やかに弧を描く敷地形状に沿うようなヴォールト棟から
   は下界が望め、要の部分にあたるアトリウムからは山の木々の揺らぎと
   訪れる小動物を間近に見る。 階ごとに変化ある内部空間に包まれなが
   ら外部環境を体感することが出来る。複雑で急勾配と一般的に言われる
   敷地条件としては良いとは言えないが、建築の条件とは建てやすさやア
   プローチのし易さだけではかれるものでは無いことを理解する家である。
   そ して、時間経過に沿いながら少しづつ手を加え暮らしへの望みを具現
   化し続けることを楽しめる家である。
   
    :atelierM5/Ki


     〈お知らせ〉
       白鳥さんは阪神淡路大震災を建築家として見ておかなくてはなら
      ないと思い、地震発生の3ケ月後に現地に行き、その現状をスケッ
      チしたとのことです。 そのスケッチが日刊建設工業新聞に、5・13
      号から半年間に亘って連載されることになりました。



    白鳥さんの事務所   アトリエCOSMOS    神奈川県逗子市 
                                 白鳥健二さん-460-120・80214




 
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昔町百景-集落を歩く-「青梅」 第12回

  「青梅」

          映画看板とレトロ建築の町         東京都青梅市
         blog青梅の町並み05・0612-170-320
 

    駅を降りて一歩町に出れば、懐かしい映画の看板たちが出迎えてくれ
  るが、ここに撮影所があるわけではない。近年、町おこしの企画とした登
  場した看板たちである。描いているのは、還暦を過ぎたベテラン絵師という。
    「青梅」の命名は諸説あるが、金剛寺の青梅伝説一般的である。平将門
  が自ら挿した梅に「我願い叶うなら栄え、成らぬなら枯れよ」と誓ったところ、
  梅は根付きその実は秋になっても青々としていたところから「青梅」となった
  という。
   ここは古くから狩猟生活を中心としていた集落があったという。平安期には、
  武蔵国造営のための用材地としての集落も形成された。鎌倉時代の頃から、
  土豪である三田氏が勢力を伸ばし、多摩川上流一帯を支配。三田氏は、天
  寧寺、塩船観音寺、御岳神社などの創建、再興に尽力し、北条氏照に滅ぼ
  されるまで青梅に独自の文化を築いた。江戸時代に入ると、青梅の大半は
  幕府の直活轄地となった。石灰、木材、織物などの産業が、多摩川の水運
  も味方して「江戸に最も近い産地」として活況を呈した。明治27年に、立川
  ~青梅間の鉄道が開通して近代化の幕が明けた。
   町は戦災を受けていないために、かなり古い建物が残っている。文化財で
  ある「稲葉家」のような和風建築もあるが、青梅駅を始め、写真館や床屋さん
  といった小さな洋風近代建築がかなり見受けられる。映画の看板もさることな
  がら、レトロ建築の町として再生できそうだ。
   
  青梅は、多摩川の渓谷と濃い緑の山並みに抱かれた東京の小さな町である。  
 
  
 :atelier M5/ki

Kazuさんの近代建築スケッチブック-第10回-

 旧大沢学校
 旧大沢学校・静岡県伊豆0711-450-270


   □旧大沢学校         静岡県賀茂郡松崎町   ★町文化財
    1873(M6)         設計・施工/不祥
   
    大沢学舎は、明治6年に三聖人の一人である依田佐二平が私財を投じて
   開校した公立小学校。三聖人とは、幕末の漢学者である土屋三余、明治期
   の実業家・依田佐二平、その弟で北海道・十勝平野の開拓者である依田勉
   三という幕末から明治期にかけて活躍した松崎出身の三人のこと。
    平成5年にこの場所に移築、復元された。館内には郷土の資料などを展示。
   場所は「道の駅 花の三聖苑伊豆松崎」内。花爛漫の花壇にと緑を背にした
   学校は、和風に僅かな洋風が参加しているといった建物だった。 近くにある
   岩科学校(国重文)と合わせて見ると、温泉だけではない知的伊豆が味わえる。
   



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