風まち通信

国内を旅して出会った町並みや建築、そして建築家の人たちのことなどをお伝えしていきたいと思います

2008-05

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建築家訪問記-逗子の白鳥健二さん-

  白鳥邸
  白鳥邸02・逗子市0802


       白鳥邸06・逗子市0802


   白鳥さんと知り合って、もう20年もたつだろうか。ちょいちょい会うという
  わけではない。白鳥さんは、先頃亡くなられた黒川紀章さんの事務所に
  在籍されていた。作風は異なるが、華やかさのある点では共通している。
  随分前に、新潟の日本海近くをウロウロしていて、 浜近い所で洒落たレ
  ストランを見つけて入った。建物に興味を持ったからである。店員に設計
  者を訊くとと白鳥さんだった。帰京して彼に電話して、再度新潟に行って
  写真を撮り雑誌「商店建築」に掲載された。彼の華やかさのある作風に
  手招きされ、魅了されたのである。
    近年、白鳥さんは神奈川県逗子の海の見える高台に自邸を造った。
  それはTV、雑誌でも紹介された。一度拝見したいと思っていた。
  今年2月、彼から他事の電話があった。 それをきっかけに訪ねた。家は
  かなりの細い急坂の上にあった。安物の私の車はゼイゼイと息切れしな
  がら登った。傾斜地にたつ白鳥さんの個性が溢れる家は、見晴らし千両
  だった。
   白鳥さんは建築家でもあり、画家でもある。画集も出している。 個展に
  も何度か伺った。絵を描いている時と建築を考えている時とどちらが楽し
  いかは訊かなかったが、絵の話をしている時は輝いて見える。優しく温か
  い人柄、60歳を過ぎても少年のような白鳥さんが好きである。 爽やかな
  奥さんは、彼にも増して好きである。
   
     :宮本和義

  写真の作品紹介
    急傾地に建つ地下1階地上2階建てのアトリエを持つ住宅。地下階は
   RC造で人工地盤を兼ねていて、地上階を木造として軽量化された空間
   が広がる。 下から地上へと移動して行くと、その先には息をのむほどの
   眺望。 扇状で緩やかに弧を描く敷地形状に沿うようなヴォールト棟から
   は下界が望め、要の部分にあたるアトリウムからは山の木々の揺らぎと
   訪れる小動物を間近に見る。 階ごとに変化ある内部空間に包まれなが
   ら外部環境を体感することが出来る。複雑で急勾配と一般的に言われる
   敷地条件としては良いとは言えないが、建築の条件とは建てやすさやア
   プローチのし易さだけではかれるものでは無いことを理解する家である。
   そ して、時間経過に沿いながら少しづつ手を加え暮らしへの望みを具現
   化し続けることを楽しめる家である。
   
    :atelierM5/Ki


     〈お知らせ〉
       白鳥さんは阪神淡路大震災を建築家として見ておかなくてはなら
      ないと思い、地震発生の3ケ月後に現地に行き、その現状をスケッ
      チしたとのことです。 そのスケッチが日刊建設工業新聞に、5・13
      号から半年間に亘って連載されることになりました。



    白鳥さんの事務所   アトリエCOSMOS    神奈川県逗子市 
                                 白鳥健二さん-460-120・80214




 
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昔町百景-集落を歩く-「青梅」 第12回

  「青梅」

          映画看板とレトロ建築の町         東京都青梅市
         blog青梅の町並み05・0612-170-320
 

    駅を降りて一歩町に出れば、懐かしい映画の看板たちが出迎えてくれ
  るが、ここに撮影所があるわけではない。近年、町おこしの企画とした登
  場した看板たちである。描いているのは、還暦を過ぎたベテラン絵師という。
    「青梅」の命名は諸説あるが、金剛寺の青梅伝説一般的である。平将門
  が自ら挿した梅に「我願い叶うなら栄え、成らぬなら枯れよ」と誓ったところ、
  梅は根付きその実は秋になっても青々としていたところから「青梅」となった
  という。
   ここは古くから狩猟生活を中心としていた集落があったという。平安期には、
  武蔵国造営のための用材地としての集落も形成された。鎌倉時代の頃から、
  土豪である三田氏が勢力を伸ばし、多摩川上流一帯を支配。三田氏は、天
  寧寺、塩船観音寺、御岳神社などの創建、再興に尽力し、北条氏照に滅ぼ
  されるまで青梅に独自の文化を築いた。江戸時代に入ると、青梅の大半は
  幕府の直活轄地となった。石灰、木材、織物などの産業が、多摩川の水運
  も味方して「江戸に最も近い産地」として活況を呈した。明治27年に、立川
  ~青梅間の鉄道が開通して近代化の幕が明けた。
   町は戦災を受けていないために、かなり古い建物が残っている。文化財で
  ある「稲葉家」のような和風建築もあるが、青梅駅を始め、写真館や床屋さん
  といった小さな洋風近代建築がかなり見受けられる。映画の看板もさることな
  がら、レトロ建築の町として再生できそうだ。
   
  青梅は、多摩川の渓谷と濃い緑の山並みに抱かれた東京の小さな町である。  
 
  
 :atelier M5/ki

Kazuさんの近代建築スケッチブック-第10回-

 旧大沢学校
 旧大沢学校・静岡県伊豆0711-450-270


   □旧大沢学校         静岡県賀茂郡松崎町   ★町文化財
    1873(M6)         設計・施工/不祥
   
    大沢学舎は、明治6年に三聖人の一人である依田佐二平が私財を投じて
   開校した公立小学校。三聖人とは、幕末の漢学者である土屋三余、明治期
   の実業家・依田佐二平、その弟で北海道・十勝平野の開拓者である依田勉
   三という幕末から明治期にかけて活躍した松崎出身の三人のこと。
    平成5年にこの場所に移築、復元された。館内には郷土の資料などを展示。
   場所は「道の駅 花の三聖苑伊豆松崎」内。花爛漫の花壇にと緑を背にした
   学校は、和風に僅かな洋風が参加しているといった建物だった。 近くにある
   岩科学校(国重文)と合わせて見ると、温泉だけではない知的伊豆が味わえる。
   



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