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Kazuさんの近代建築スケッチブック-第16回-

   市川教会
   itikawakyoukai


       □市川教会              山梨県西八代郡三郷町市川大門
         1897年(M30)          設計・施工/不祥     ★登録


       カナダ系のメソジスト協会で、教団の資金援助を受けず当地のキリスト
      教信者の力だけで建設された。町並みの中に埋没してしまいそうな木造
      平屋の小さな教会だが、100年以上も山間の人々を見守ってきた確かな
      存在感があった。




                                   
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昔町百景-杉山- 第17回

 「杉山」
 
  静かなるもう一つの蔵の町              福島県喜多方市杉山

  sumiyama


     会津は蔵の街である。その数は2千棟を越すといわれる。 喜多方は
    永禄7年(1564)に市(いち)が始まった頃に町が成立したといわれる。
    当時から年貢は金納だったので、 農産物を売って金に換える市が立っ
    たのである。その結果、蔵が必要になり、多くの蔵ができた。商品蔵が
    ほとんどで、急増したのは明治13年の大火以後といわれる。大火でも
    商品が焼けなかったことが急増の理由だろう。
      杉山は、喜多方の市街を抜けて米沢保面に9km行った山間にある農
    村である。 13戸の家が小集落を作っているが、 見事な蔵が街道に面し
    て並んでいる。蔵に家が付いているかのような見事な蔵の存在感であり、
    面白い姿ともいえる。農家にこのような派手な商品蔵は不要なはずだが、
    なぜこんな立派な蔵が要ったかと訝らざるを得ない。 想像だが、喜多方
    市内の蔵など見て、蔵を造ることがステータス思ったのではないかという
    見方もあるし、流行だからという、甚だ自主性に乏しい蔵造りが生んだ風
    景かもしれない。ともあれ訪ねる価値はある。
  
     この集落では、団体観光客に出会うことが稀で、それだけでも静かで
    良い旅になる。       

                                 :atelierM5/Ki



                               
  

Kazuさんの近代建築スケッチブック -第15回-

     郡山市公会堂 
  
     kouriyamakoukaidou


    □ 郡山市公会堂        福島県郡山市麓山
      1924年 (T13)       設計監修/矢橋賢吉 
                       設計/荻原貞夫 ・ 施工/清水組  ★登録

 
     郡山市の市制施行記念に建てられた。
    設計は大蔵省の矢橋賢吉(1869-1927)が監修に携わり、設計は
    部下の荻原貞雄が行った。オランダ・ハーグの平和宮をモデルに
    したといわれ、郡山で最も美しい近代建築と言える。
  
                                                    

建築家訪問記 -福島の辺見美津男さん-

    高台の家
    takadainoie02・sirakawa0809-400-265

    takadainoie03・siraakwa0809-400-265


      数年前に郡山で、スライド講演会をした。前回登場した建築家
     の嶋影健一からの依頼で、JIA福島の主催だったかと思う。その
     時は見えたとのことだったが、名刺の交換はなかったようだ。
      今年7月頃、突然辺見さんから電話があって、3~4つ作品が
    できたので撮りにきて欲しいという。顔が思い浮かぶわけもなく、
    ネットで事務所のHPだけ見て出かけた。古い蔵を改修して事務
    所にしたという。そういえば嶋影さんがそんなことを話していたなぁ、
    彼のことだったんだ、と納得。
      事務所は白河市のほどほどに静かな場所であった。穏やかそう
    な人、辺見さんの初対面の印象だった。蔵を直したアトリエと学校と
    保育園と住宅を1軒づつ撮った。作品はどれも手馴れた感じがした。
    撮っている時はアトリエが面白かったが、今は何故かあまり気負った
    感じがない傾斜地に建つ住宅が記憶に残っている。あまりお金をか
    けないで造った分、しつこさがない。どの建築家にもいえることで、
    予算不足の作品には余分がなく、質実で好感が持てるものが多い。
    その家もそうだった。
      辺見さんと2日ほど一緒にいたら、帰る頃には最初の印象とは
    異なり、かなり熱い人だという印象に変わってきた。どこかにいた
    なぁそんな人。そうだ!嶋影さんだ。彼と辺見さんは仲良しのようだ。
    類は友を呼ぶことは事実である。郡山はもう雪の季節である。今宵
    も酒でも飲みながら、建築に熱い話をどこかの居酒屋でしているん
    だろう、と想像しながら2人の顔を思い浮かべる江戸の晩秋である。


                             :宮本和義    

      作品の紹介
        城下町のなごりを残す福島県白河市に建つ一部鉄筋コンク
       リート造の木造平屋建ての住宅である。高台の家の名の通り
      北西方向に那須連峰を望む高台に建っている。テラスへの掃
      き出しの開口は引き込みになっており、開放すれば視界が連
      峰へと広がるようになっている。リビングには寒さのの厳しいこ
      の地方での暖房にと薪ストーブがリビングに置かれている。
      また南には、季節の移り変わりを近くに感じれれるように紅葉
      が植栽され、障子の向こうに風にゆれる彩りをみることができる。

                   
                              :aterier M5/Ki



      辺見さんの事務所  (有)辺見美津男設計室  福島県白河市
      連絡先 TEL 0248-23-1788


      

昔町百景-近江八幡-第16回-

「近江八幡」
   
 八幡堀とヴォーリズさんと          滋賀県近江八幡市 
 okumihatimann

   ここは近江商人発祥の地である。 伊藤忠、丸紅といった大手企業も
  ここが元祖である。 やしかし、ここでデンと舗を構えて商いをしていた
  わけではなく、ほとんどは全国を行脚する行商人であった。したがって
  全国に今も残る「近江町」は、この人たちに関わる所が多いという。
  近江八幡は彼らの本邸である。近江の町は、豊臣秀次が、織田信長
  が造った安土町を模して構築した城下町である。 秀次の処刑により
  城下町としては僅か10年の命だった。その後は商人町として発展する。
  町並みは碁盤の目で、最も整っているのは新町筋である。整備された
  通りに、見事な商家が軒を並べている。家は、通りに面して店、座敷
  はその奥,さらにその奥に蔵があり、蔵は通りに面して妻側を見せる造
  りである。一段と大きな屋敷は西川邸(国重文)で、ふとんの西川の
  本宅である。
   
   この町で忘れてならない人に、宣教師建築家のW.M.ヴォーリズが
  いる。ヴォーリズは、明治38年に八幡高校の英語教師として来日した。
  海外にまで販路を伸ばしていた近江の人たちには、殊に英語教育は
  重要であった。明治~大正にかけてのこの町の人たちの英語力は全
  国でも群を抜いていたいう。しかし、キリスト教の布教に熱心になり過
  ぎたヴォーリズは、僅か2年で退校。そして明治43年に建築設計を主
  とする事務所を開設し、それは後にメンソレータムで知られる近江兄弟
  社の元となった近江ミッションへと発展した。ヴォーリズ設計の建築は
  ここに留まらず、全国に今も多く現存している。
   
   八幡城を巻く八幡堀は今も昔の姿を留め、鬼平や中村主水がふらり
  と現れそうな風景を作っている。



                            :atelierM5/Ki

Kazuさんの近代建築スケッチブック -第14回-

     配水地送水機関室 
   
   水源地送水機関室(S11)・三重県伊賀市0810-450-270


      □ 配水地送水機関室           三重県伊賀市 
          1936年(S11)           設計・施工 / 不祥  ★登録

      施設の前に着いたのは西日が長めの影を落とす頃だった。伊賀は芭蕉の
    故里であり、忍者で知られ、剣豪・荒木又右衛門でも知られる観光地だが、
    ここを訪れる観光客はいない。
    垂直に伸びた草むらが微かな風に揺れる。静かな哀愁色の美しい風景だった。





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