昔町百景-近江八幡-第16回-
「近江八幡」
八幡堀とヴォーリズさんと 滋賀県近江八幡市

ここは近江商人発祥の地である。 伊藤忠、丸紅といった大手企業も
ここが元祖である。 やしかし、ここでデンと舗を構えて商いをしていた
わけではなく、ほとんどは全国を行脚する行商人であった。したがって
全国に今も残る「近江町」は、この人たちに関わる所が多いという。
近江八幡は彼らの本邸である。近江の町は、豊臣秀次が、織田信長
が造った安土町を模して構築した城下町である。 秀次の処刑により
城下町としては僅か10年の命だった。その後は商人町として発展する。
町並みは碁盤の目で、最も整っているのは新町筋である。整備された
通りに、見事な商家が軒を並べている。家は、通りに面して店、座敷
はその奥,さらにその奥に蔵があり、蔵は通りに面して妻側を見せる造
りである。一段と大きな屋敷は西川邸(国重文)で、ふとんの西川の
本宅である。
この町で忘れてならない人に、宣教師建築家のW.M.ヴォーリズが
いる。ヴォーリズは、明治38年に八幡高校の英語教師として来日した。
海外にまで販路を伸ばしていた近江の人たちには、殊に英語教育は
重要であった。明治~大正にかけてのこの町の人たちの英語力は全
国でも群を抜いていたいう。しかし、キリスト教の布教に熱心になり過
ぎたヴォーリズは、僅か2年で退校。そして明治43年に建築設計を主
とする事務所を開設し、それは後にメンソレータムで知られる近江兄弟
社の元となった近江ミッションへと発展した。ヴォーリズ設計の建築は
ここに留まらず、全国に今も多く現存している。
八幡城を巻く八幡堀は今も昔の姿を留め、鬼平や中村主水がふらり
と現れそうな風景を作っている。
:atelierM5/Ki
八幡堀とヴォーリズさんと 滋賀県近江八幡市

ここは近江商人発祥の地である。 伊藤忠、丸紅といった大手企業も
ここが元祖である。 やしかし、ここでデンと舗を構えて商いをしていた
わけではなく、ほとんどは全国を行脚する行商人であった。したがって
全国に今も残る「近江町」は、この人たちに関わる所が多いという。
近江八幡は彼らの本邸である。近江の町は、豊臣秀次が、織田信長
が造った安土町を模して構築した城下町である。 秀次の処刑により
城下町としては僅か10年の命だった。その後は商人町として発展する。
町並みは碁盤の目で、最も整っているのは新町筋である。整備された
通りに、見事な商家が軒を並べている。家は、通りに面して店、座敷
はその奥,さらにその奥に蔵があり、蔵は通りに面して妻側を見せる造
りである。一段と大きな屋敷は西川邸(国重文)で、ふとんの西川の
本宅である。
この町で忘れてならない人に、宣教師建築家のW.M.ヴォーリズが
いる。ヴォーリズは、明治38年に八幡高校の英語教師として来日した。
海外にまで販路を伸ばしていた近江の人たちには、殊に英語教育は
重要であった。明治~大正にかけてのこの町の人たちの英語力は全
国でも群を抜いていたいう。しかし、キリスト教の布教に熱心になり過
ぎたヴォーリズは、僅か2年で退校。そして明治43年に建築設計を主
とする事務所を開設し、それは後にメンソレータムで知られる近江兄弟
社の元となった近江ミッションへと発展した。ヴォーリズ設計の建築は
ここに留まらず、全国に今も多く現存している。
八幡城を巻く八幡堀は今も昔の姿を留め、鬼平や中村主水がふらり
と現れそうな風景を作っている。

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