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昔町百景 -第21回 -

「四間道」
    
         大都会の昔町         愛知県名古屋市西区
                           ★市指定町なみ保存地区

    
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      四間道は名古屋駅から徒歩15分、通勤者が往来する大通りのすぐ近く
     の堀川沿いにある。 「しけみち」とは何とも妙な名である。 名古屋城の築
     城は慶長15年(1610)に始まる。それまでの尾張の中心は清洲で、名古
     屋城完成後に清洲から武士、町人に至るまで全てが転居した。 これを
     「清洲越し」と呼ぶ。 堀川は、名古屋城と熱田港を結んだ水路で、この水
     運を利用して城下町はの物資が運ばれた。 堀川の整備事業は、福島正
     則を頭に20名の大名によって行われた。川沿いの商家の玄関は、水運の
     便を考慮した堀川に向けられ、土蔵は家の裏手に造られた。
      四間道一帯は元禄13年(1770)に大火に遭い、 1649軒の民家と15の
     社寺を焼失、再建の時に防火を考慮して裏手の道を4間巾(約7m)に拡
     張し、東側を石段で高くしてその上に蔵を建て、西側に商家を造った。 こ
     こから四間道と呼ばれるようになった。最初は妙な名前と思う人は多いが、
     単なる道路巾から付いた呼び名である。 しかし防火的町づくりの効果はな
     く、後の享保の頃の火災では、以前に増す被害が出たという。 したがって
     今残されている町並みはそれ以降の再建である。町の中心は、堀川に架
     かる五條橋、中橋の西側で、橋畔には荷揚げ場の石畳が残る。
       見所は蔵の並ぶ辺りだが、町の大きさは大したものではなく、格子の町
     屋が連続する見事さもない。 驚くのは、再開発の名のもとに何でも壊して
     しまいそうな不節操な大都会のビル街に、昔町が生き残っていることで、 
     類例は少ない。 上空から見れば、ビルの谷間の一角に時代劇のセットが
     組まれたように見えるだろう。 四間道は、屋根神様の載る民家などを見な
     がら、1時間ほどの町歩きをするには格好のオフイス街の昔町である。
     町屋を転用した喫茶店などもあるから、それも楽しめる。

                                   
                                  :atelier M5 Ki
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