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風まち通信

国内を旅して出会った町並みや建築、そして建築家の人たちのことなどをお伝えしていきたいと思います

2018-10

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百町百景-集落を歩く- 「高取」 第8回

    「高取」
      薬売りで知られる城下町          奈良県高市郡高取町

        高取04・071021-300-270

     薬売りで知られるというと関東の人は「越中富山の薬売り」であり、
    高取の薬売りを知る人は少ない。薬売りはもとより高取町そのものを
    知らない人が多いだろう。高取の薬売りは富山より古いとも言われ
    る。多少の時間差など特にどうということもないが、江戸末期から行わ
    れていたようだ。
     高取は、もとは八木から壷坂寺に通じる街道の平凡な町として発生
    したが、高取城が築かれ、そこに住んだ藩主や藩士が不便な山城を
    降りてここに居住し城下町を形成した。
     高取城は、高取町の南東に聳える高取山(標高584m)の山上にあり、
    全国で最高所で、三重の天守閣を持つ江戸期の藩主の居城としては
    最大の山城だった。大和に入った豊臣秀長は、家臣の脇坂安治、次い
    で本多正俊を城主として大規模な改修をした。寛永14年(1637)本多氏
    が断絶、城番時代を経て寛永17年(1640)大名・植村家政が2万5千石
    の大名として入り、以後明治維新まで続いた。
     武士の屋敷は街道筋の下小島村や土佐町に移され、土佐、観覚寺を
    合わせた4ヶ村が城下町として形成された。こうして町ができたので、
    武家屋敷、町人町、農家が混在することになった。土佐町は藩主や藩
    士の下屋敷があった場所で、同所を藩庁を設けたために町の中心とな
    った。
     町並みは近鉄壷坂山駅から、国道169号線を横切り国道と平行に南
    北に通る街道に沿って発達している。北から観覚寺・下土佐・上土佐・
    下子島・上子島と続く。上土佐は藩政時代は土佐町と呼ばれたところで
    札の辻と呼ばれる場所には、かつて高札場が設けられていた。札の辻
    の南側の下子島は主として武家地域で北側は町人町だった。町には武
    家屋敷の田塩家や植村家の長屋門、入口に駒繋ぎの輪が左右にある下
    土佐の石川家など見所が多い。
     町の観光案内所「夢創館」は、大正時代の呉服屋を転用したものだ。
    明日香や斑鳩等々、観光するものの多いこの辺りにあって、ひっそりと昔
    日の佇まいを見せる高取の集落を訪ねる人は少ない。
    惜しいことである。
  
  
    :atelierM5/Ki

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